2022-05-17

お稽古所 五月「名護屋帯」のこと

私の小さなお稽古所は、あいかわらずひっそりとお稽古しています。

私自身の最近のお稽古の曲は、「名護屋帯」でした。
「なごやおび」と読みますが、地唄でいう名護屋帯は、お太鼓用に締めやすくなっている幅の広い名古屋帯ではなく、室町末期から江戸初期に用いられた組紐の細帯の事だそうです。

遊女の哀しさを表している舞なので、葛流の会では、前に帯を結んだ形でなさる方が多かったのですが、私が、過去に国立劇場の舞台で舞ったときは、幅の狭い帯にしてもらいました。
かつらも、ちょっと変わった形でした。
先生から、「げんこつを載せたみたいな形」と説明して頂いたのを覚えています。
似合うかどうか人による形で、地味な感じなので別の形にする人が多いと聞きましたが、私は国立劇場の舞台では、似合う似合わないに関わらず、この曲はこの格好という定番や、その時代その物語に沿った形にしてもらうようにしていましたので、この時も「げんこつ」がどんな感じなのか、よくわかりませんでしたが、その変わった髷でお願いしました。
その時の写真がこちらです。



朱色の組み紐の飾りと、金色のかんざし一本だけでしたが、かえって華やかだったと思います。
衣裳も、私の身に余る豪華なものでした。
先生が京都で衣裳を選んでくださり、「素敵だったからこれにしちゃった」と仰っていました。本当に華やかな衣裳で、どっしりと重たかったのを覚えています。
私は身長がまずまず高いので、先生は大きな柄を選んでくださることが多かったようです。

当時の事を色々と思い出す写真です。
かつては二重に巻いた帯が、恋焦がれるあまりに三重にまわるほど痩せて細くなってしまったとうたわれる艶物の極みのような曲で、例によって私とかけ離れているため、その気になるのが難しい曲でしたし、私の体格はそれほど痩せてません~、と思うと、弱気になったものです。
先生からも、しっとり柔らかく動くようにとお叱りを受けながら稽古していました。
この時は葛流の創流の会で、名護屋帯を舞った後に、お名取の群舞で、先生振付の「瀧づくし」を6人で舞いました。二曲出演したのは、後にも先にもこの時だけでしたので、不思議な感覚だったのを覚えています。
国立劇場の舞台は、当時、恐れおののいてしまう事もありましたが、一人ぼっちではなく、先輩のお名取さん方がいてくださると、こんなにも心強いのか、と、安心して立つことができました。
言い方がおかしいかもしれませんが、なにやらスポーツのように明るく、楽しい時間でした。

その名護屋帯を久しぶりにお稽古しまして、一旦仕上げとなりましたので、お稽古日にお弟子さんの前で舞いました。どなたかに観ていただくのは、自身と向き合える、質の良い稽古になります。


名護屋帯